“近くにあるのに知らなかった存在”

“近くにあるのに知らなかった存在”

      『青空に舞う一本ののぼり』




抜けるような青空に堂々と一本の「のぼり」が風になびいています。
のぼりに「山之神神社」という文字が見えますでしょうか?

土曜日は、私の地域の「秋葉神社」と「山之神の神社」の祭典の準備をしました。
私は、名前を聞いたことがあるにもかかわらず、この自宅の裏山にある神社の存在をこの地に暮らしながら何十年と知らなかったのです。
自分の裏山にあったことすらも。
そして、かなりの昔から、この祭典が営々と営まれてきたことも。

何故だろう? こんなことを今日考えてみました。

『近くにあることに気付かされた』
今、自治会の役員をやっています。自治会には多くの地域行事があります。この祭典は数ある地域の行事の一つですが、正月行事とか節分行事とか人がたくさん集まる所でなく、人里離れた所で催される行事の一つです。




最初の祭典は、山の神で、私が建築関係ということで神事をまかされました。
子供の頃、よく山に遊びにいった農道の脇に神社があります。子供の頃は何回も通り過ぎたのですが全然気がつきませんでした。
気付かなかったのは、山の神の神社は鳥居もなく社があるわけでもなく、ひっそりと佇んでいたからではないでしょうか?
役員をやってみて初めて山の神様の存在を知り、祭典の準備を行って神社の場所を知りました。
その神域におごそかな気分を感じました。
また、この山の神様に祈ることによって自分達の地域の暮らしが守られ、自分も守られているという気さえします。




『眺めの良い景色』
その足でまた、山を歩き秋葉神社へ。
ここには鳥居があり、そこから眺める“駿河湾”の景色がよく、素晴らしいものです。




訪れた年配の参拝者から
「60年ぐらい前に20センチぐらいの苗木を植えた桜が春には見事に咲き、見晴らしがいいので、ここで憩いの場ができないかな?」
「昔、ここで青年団が祭りを催した。」という話も出ました。
この日の参拝者は10人程でした。
私も、秋葉神社と山之神神社の「いわれ」を調べようとして年配の参拝者に尋ねてみましたが、あまりはっきり分かりませんでした。

地域の行事は行われるのですが「先人達がどうしてここの場所に祀つるようになったのか」がわかり、伝えることができればもっと行事そのものに活気が出て、地域が元気になると思います。
今回、この祭典を通して日常気がつかないけれど、先人達が育んできた地域の大切なものの存在が見えてきました。

『大切な存在』
最近は自然素材もずいぶん見直される時代になりました。しかし、ちまたには多くの新建材があふれかえって多くの家が生まれています。確かに自然素材は良いことがわかってはいますが、その取り扱いはインスタントにはできません。本当に良いものを作るには林業家、製材所、工務店、大工さん、設計事務所、建て主でじっくり時間をかけ、確かなモノと技術で作っていかなければなりません。
私達も、もう少し地域の人やモノから得る大切なものを学び、その存在に気付かなければならない時代に入ってきたのではないでしょうか。
もう少し足元をじっくり見つめてその使い方をしっかり学べば豊かな住まいが実現できます。
  


2009年01月13日 Posted by yutakanacocoro at 11:47Comments(0)建築のしかけ

建築のしかけ “子供の作法”

先日、静岡新聞に「子供の作法」という記事が載っていました。




本日のテーマは「子供の作法 + 大人のしつけ (建築のしかけです)」

こんなタイトルでは、世の中で頑張っている親御さんにおしかりを受けるかもしれません。

静岡新聞に月一度、「こどもの作法入門」という記事が連載で載っています。
私は、関心を持ってこの記事を読んでいます。
過去の記事なのですが、私の印象深い記事を紹介致します。




この写真が小さく、見えにくくて申し訳ありません。

本当は全文伝えたいのですが、記事の内容を要約して伝えたいと思います。

タイトルは
               ≪「靴をそろえる」 手を添えて一緒に ≫
「保護者会で親たちがだらしなく脱いだ靴を、三年生の女の子が黙々と揃えていました。
10歳そこそこのこの子が脱いだ靴をそろえてくれたことにも気付かず、おしゃべりしている親が増えています。

何が恥ずかしいことなのかさえ分からなくなっているのは、親と子のどちらでしょう?


よくお母さんたちは言います。
靴が玄関に、ぬぎっぱなしなっているのを見て、

        「何度注意しても靴がバラバラ、しまいには『何度言えば分かるの!』って」

この記事では、具体的に「靴を揃えること」をこう綴っています。

親は面倒くさがらず、口先での注意を控えて、
 まず

    1. 子供に靴を持たせ、その手の上に自分の手を重ねる。

    2. 一緒に靴の向きを変えて端にそろえて置く。

    3. 次に一人でやらせてみる。
       きちんと向きを変えた小さな手の上に大きな親の手を重ねる。

    4. 言葉はたったひとこと。

                  「きれいね。」

わずか5分。これをその都度3度も繰り返せば、母の手のぬくもりとともに子供の心に残ります。

注意することがしつけだと勘違いしている大人たちがあふれ、その分『こころという最も大切な部分』を伝えられない。

というような内容です。

私のホームページの三本の軸「やさしさの見える住まいづくり」で、似たようなことを伝えています。

「子供の作法と大人のしつけ(建築の仕掛け)」




玄関の框(かまち)というところで幼児が靴をそろえています。お母さんがそっと手を添えて言います。

      “ここで、お客様を迎えるからね。玄関は、おうちの顔だから助かるよ”

揃 (そろ)えることはお客様への思いやりなんですね。
子供にゆたかな心が芽生えるんですね。

      「玄関の框というハードがソフトに変わる瞬間です。」

この習慣で子供はしっかりしてきます。モノという建築のシカケで子供の心がはぐくまれます。
最近は親御さんのほうが作法を学ぶ機会が少ないかもしれません。
しかし学ぶことによってゆたかな心が育まれることってたくさんあるんですね。

と、このように書きました。

私の設計室では「三本の軸」を重ね合わせ紡いでいくことで「こころ豊かな住まいづくり」を目指している人を、応援したいと思います。

PS
先日、子育て中のお母さまから私の方にメールが届きました。片づけに関する内容です。
     ひとつヒントになったでしょうか?
  


2008年11月27日 Posted by yutakanacocoro at 14:05Comments(0)建築のしかけ